政教分離の原則とは

若干危険なネタに触れます

 政教分離とは政府が特定の宗教団体に対して優遇などの干渉をしないということ

最初に宣言しておかなければならないこととしてですが、私は創価学会の会員でも幸福の科学の会員でもありません。
彼らの教義・活動に対し、違和感を覚える側の人間です。

私と同じように、彼らの教義・活動に対して違和感を覚え、激しい批判をする方々が、ネットを見ていると非常に多く感じます。
しかし、その批判の一つに「政教分離の原則に違反している」というのが多いように感じます。
ですが、コレの多くに関しては「的外れ」だと言うしかありません。

創価学会や幸福の科学が「政教分離の原則に違反している」という論を展開している方々の代表的な主張を二つあげます。

  • 宗教団体が特定の政治団体や政党、議員・候補者を擁立・支持するのがマズい
  • 党が団体を優遇している

これらについて、ひとつ語ってみます。

宗教団体が特定の政治団体や政党、議員・候補者を擁立・支持するのがマズい

コレは全くの問題外です。
政教分離とはなにか。
まず、日本国憲法には以下のように定められています。
日本国憲法二〇条

一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、  
 又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法八九条

 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。

まず二〇条の一ですが、コレは信教の自由を保証する文言です。
宗教団体に対し、国家が優遇したり、弾圧や妨害を加えてはならない、そういう意味です。
優遇に関してもう少し踏み込んでいるのが八九条で、国家の財産を宗教活動に使ってはいけないという意味ですので、国の積極的優遇を禁ずる文言です。

次に二〇条の三です。
コレは、教育において宗教活動をしてはならない、という意味ですね。
たとえば、学校において教育の一環として宗教活動をした場合…教員が生徒を折伏したりなんかすればコレに反します。
教員は「公務員」ですので、コレは地方公務員であろうと「国家に由来する地位」ですので、教育に宗教活動を持ち込むことは禁じられています。
コレも優遇を禁じる意味であります。

以上、憲法においての政教分離の原則ですが、国家→宗教団体への力は禁じられていますが、宗教団体→国家の力は禁じられていないんですね。
つまり、宗教団体が政治活動をすることは条件(政府として優遇・弾圧などの介入をしない)付き合憲であり、なんら問題がないんです。

もちろん、宗教団体が団体として「脱税・殺人・テロ」などの違法行為を行なった場合、コレは「法に基づいて処罰」されます。
日本国憲法下で初、この「法に基づいて処罰」を行なおうとしたのが「オウムへの破防法適用」だったのですが、市民団体などの反対により見送られてしまいました。
そのせいで、オウムの活動は合法であり、逮捕された教祖:松本智津夫以下幹部の「個人」への処罰で対応という、テロ組織を野放しにする恐ろしい事態を招いたわけですが。

つまり、現状で公明党と創価学会の関係は合憲なんです。
万が一、宗教団体が団体として罪を犯さない限りは。
もちろん、様々な政党を支持する宗教団体の行為も合憲なんです。

唯一心配することといえば、国立戒壇がなされた場合は、憲法改正しないといけませんw
未来において、コレがあるかどうかは知りませんが。

党が団体を優遇している

コレに関しては、私は資料を持ち合わせていませんので、全く語ることができません。
個々で調べてください。

 では政教分離原則に反する「今そこにある問題」は?

個人的に政教分離の原則に違反すると考えるのは靖国に代わる国立追悼施設です。
推進派の言い分として「靖国神社は一宗教団体であり、政治家が参拝することは政教分離の原則に反するので、無宗教の追悼施設を作る」というものです。
ですが、宗教性を帯びない「追悼」という行為が成り立つのかと考えると、追悼というのは弔うという言葉に非常に近い意味であり、弔いという行為は宗教行為であります。
ソレを国立でやろうとするのですから、国が宗教団体を作るということになり、政教一致になるのです。
完全に憲法違反ですね。
靖国への参拝は、国が公金を捻出しない限り合憲なんです。
つまり、首相を含む政治家・公務員が靖国参拝をするのは何ら問題がないワケです。
ソレを、火のないところに煙をたてる…どころか放火までする勢いで騒ぎ立て、挙げ句の果てが違憲な国立の追悼施設ですからね、呆れてものも言えません。
もちろん国が靖国神社を潰そうと干渉するのは違憲ですから、そのような動きが見てとれた場合は、全力で阻止しなければなりません。

というところで、政教分離についての語りを終わりにします。