怪談の学校 〜怪談噺の現在と過去〜

 怪談話は時代とともに変化します

まず大前提として、私は団塊ジュニア世代です。
ですから、怪談話も団塊ジュニア世代を基準に考えます。

私の世代

団塊ジュニアにとって怪談話とは、やはり幽霊というのが多くのウェイトを占めていました。
中岡俊哉の心霊写真本などが売れていて、夏休みなどは「あなたの知らない世界」を見ていた時代です。
宜保愛子や織田無道(は少し時代が進んでから?)などの「自称」霊能者がテレビに出ていて、兎にも角にも

怪談話 = 幽霊

という図式が成り立っていました。
この時代に有名になったのが地縛霊・浮遊霊などの用語です。
ある人は人魂を見て、ある人は幽霊に首を絞められ、ある人は幽霊に助けられ…というふうにできた怪談話を怖がっていたワケです。
口裂け女や人面犬などもこの時代にあり、コレはサブカル的オカルティズムと私は呼んでいます。
この時代の怪談話というのは、案外と落語のネタや輸入された怪談話に手を加えたものが多かったように思えます。
真景累ヶ淵などのような古典を元に手を加え、悪業因縁の恐ろしさを表現したモノ、逆に過去を断ち切るコトによる一種の救済を得たモノなど、色々あったワケです。
つまり、ある種俗的な宗教性を帯びていたとも言えるワケですね。
ちなみに、狐狸妖怪の類も残っていました。

団塊孫の世代

団塊ジュニアの子の世代というのは、幽霊ではなく「呪詛と怪異・妖怪」の世代と呼んでイイでしょう。
いつしか幽霊とはオーブと呼ばれるホコリやら壁のシミをあらわすようになり、呪詛・怪異・妖怪が怪談話の中心となります。
俗的な宗教性はシャーマニズムに走り、俗悪な占い師(呪師)が蔓延るようになりました。
TVで知名度をあげて霊感商法に走るような輩が増えたんですね。
そして、TVでは伝統的な幽霊話が減ってきます。
どちらかというと、話ではなく可視化してある「物証」に走るようになったんです。
チャチな素人仕事クサい心霊写真や心霊ムービーなどが、コンピュータの発達により素人でも映像処理ができるようになってから非常に増えたように思います。
誰にも見えない・触れない存在だからこそ怖かったオカルト現象が「作り出せる」ようになったと、そういう面もあるワケですね。
これはつまり、怪談話を聞いても判らない、話を聞いてもアタマの中でVisualizeできないという背景があります。
ひとえにコレは、国語力の低下によるものと考えてよいでしょう。
伝統的怪談話を読めないんですね。
私などの世代では、古文・漢文・旧仮名遣いを叩き込まれましたが、現代の子らはコレが全く読めないんです。
ですから、狐狸妖怪の話を団塊ジュニア世代が現代風にアレンジしたモノが売れているんです。
つまり、番町皿屋敷を含む皿屋敷伝説などというものではなく、人が蛙や虫になったりという怪異を喜ぶ世代になったワケです。
夢枕獏原作の陰陽師が流行したのも、呪詛・怪異とシャーマニズムがメインストリームとなっているからこそ、との見方もできるワケですね。
伝統的な幽霊話というのは、稲川淳二や桜金造、つまみ枝豆などの芸人が「語り部」として行なっています。

ココ数年の話ですが、私の地元に、私が小学校の頃から閉店していたホテルがあったんです。
つい3年くらい前に取り壊されたんですが、その取り壊しの直前に稲川淳二がロケに来ているんです。
そして、その番組を見た時に笑ってしまいました。
番組では「怨霊が云々」を繰り返し、ココで死んだ者が云々などと並べているんですが、そのホテル関連で死人は出ていませんw
ずっと管理会社が管理していたんで、取り壊しが決まってからはガラスが割れても放置していましたが、ソレまではガラスの一枚も割れてなかった…割れても交換していたんです。
そして、そのロケ以前は、ホテルで幽霊が出るなどという話は無かったんです。
当然ですよね、管理会社が入ってたんですからw
稲川淳二も「上手にハナシを作りますね」って感じですw
その程度なんですよ。
彼は団塊ジュニア世代相手の頃からのオカルト噺家ですが、まぁ、アレで面白がっているくらいがイチバンですね。

さて、ハナシを戻します。
現代の怪談話では呪詛と怪異とシャーマニズムが主流だとしましたが、特に呪詛モノが多いですね。
呪詛というのは話を作りやすいんです。
菅原道真公の雷神神話も呪詛・怪異ですし、将門の首塚も呪詛・怪異の範疇に入ります。
つまり、昔から作られてきたワケです。
ナニか怪異が起これば、何者かの呪詛だと疑う、そういう伝統があるんですね。
ココでひとつの問題が出てきます。
呪詛・怪異というのは祓い鎮めなければなりません。
そういうモノなんです。
その祓い鎮めるという行為こそが宗教行為なんですが、コレを行なう(と勝手に名乗っている)者が多く見られます。
昔のオカルト番組では…織田無道より昔ですか、その頃というのは怖がるだけで終わりだったんです。
ところが織田無道などの「自称霊能者」が現れて、オカルト界が一変します。
つまり、払い鎮める者が乱立したんです。

スピリチュアル(誤用)の世代へ

呪詛・怪異は祓わなければならない、そういう「伝統」が日本にはあります。
そして、祓う者として昔は行者があたりました。
現代ではスピリチュアリティ(日本でのスピリチュアルの用法は間違いで、スピリチュアルというと霊歌という意味になります)の世代となりました。
超自然的思想とでも言いましょうか、そういうシャーマニズムに走っているワケです。
シャーマニズムであるからには「宗教」であり、コレに占い師が「ゆるい宗教団体」の枠を作り、例えば本であるとか、例えば石であるとか、例えば墓であるとかという「商業ベース」に乗せて、ウマく大衆をたらしこんでいると、そういう時代となりました。
某大物女性占い師は、墓石・仏壇業者と組んでいるのは公然の事実であり、霊感商法をウマくやっている「手本」とでも言いましょうか、そういう存在であります。
疑うのであれば、その占い師の著書の巻末を見れば判りますね。
事務所として、都内の墓石業者と様々な支店が出ていますから。
この世代の自称霊能者というのは、昔のように宗教法人を作ったりなどしません。
宗教法人の看板を出さない占い師(宗教家)という肩書きは、入り口のハードルを低くするんですね。
占いというのは古代シャーマニズムから伝わる行為で、本来は宗教の領域なんです。
そして、現代の占い師は「アンコ」ですから、霊だろうと神だろうとナンでもネタにするんです。
ハイパー宗教のひとつとして考えるというコトもできます。
彼らは「言葉」を操って人を畏怖させ、祓い(モチロン自己流です)を行なって安心感を与えるという「マッチポンプ商法」で稼いでいます。

さて、なぜ幽霊の話が占い師に繋がったか…?疑問に思うでしょう。
ソレは、恐怖の対象が幽霊などから「占い師の禍々しい予言」にシフトしたのが、この現代だからです。
つまり、幽霊・狐狸妖怪の類そのものを怖がった時代は終わり、或は狐狸妖怪に見える占い師の言葉(呪詛)を怖がる時代になったんです。
某大物女性占い師などを見ていると、まず呪詛を吐いて相手の思考を止め、そのあと呪詛を解くように話をします。
この呪詛が怖いと、そういうコトなんですね。
私から見ると、彼らは狐狸妖怪の類にしか見えません。
言い方を変えれば、彼らが狐狸妖怪として認識されていて、ソレそのコトが怖がられているのかもしれないですね。

というコトで、スピリチュアリティの世界というのも、ほぼ狐狸妖怪に乗っ取られた状態です。
さて、迷える者たちはドコへゆくのでしょうか?

終わりに

私は霊も神仏も信じる人間です。
やはり狐狸妖怪の類は怖いです。
そして、その狐狸妖怪に誑かされている人間がもっと怖いです。
オウムやブランチダビディアンのような狂信者が現れないコトを願います。