博打論 〜博打とは〜

 博打という「世界」

博打というモノ、様々な形式・様式があります。
また、任侠においては「博徒」という人々もおり、精神性も問われる世界です。
この博打という「世界」をひとつ綴ってみます。
ちなみに、私は博打をほとんど打ちませんw
人生そのものが博打ですからww

博打の定義

今回の場合、博打とは、自分の「何か」を賭けて、ソレ以上の「モノ」を得るか、若しくは失うかという定義とします。
金を賭けてもイイですし、自分の地位を賭けても、また最終的には「命」を賭けてもイイわけです。
また、賭けには勝ちも負けもあります。
勝って優美な世界を手に入れる者、負けて全てを失う者。
そういう「世界」が博打なワケですね。

公営賭博

さて、一般的に言われる博打とは?と聞かれると、結構色んなモノがあります。
合法的なモノでいえば、

  • パチンコ…風営法…日本遊技関連事業協会(国家公安委員会・警察庁管轄)
  • パチスロ…風営法…日本遊技関連事業協会(国家公安委員会・警察庁管轄)
  • 競艇…モーターボート競走法…財団法人日本船舶振興会(国交省管轄)
  • 競輪…自転車競技法…財団法人JKA(経済産業省管轄)
  • オートレース…小型自動車競走法施行規則…財団法人JKA(経済産業省管轄)
  • 中央競馬…競馬法…日本中央競馬会(農水省管轄)
  • 地方競馬…競馬法…地方競馬全国協会(農水省管轄)
  • 宝くじ…当せん金付証票法…都道府県(総務省管轄)

まぁ、こんなモンでしょう。
宝くじも自分の金を出して券を買い、当たったらリターンがあるので博打になります。
その証拠に「刑法第187条 賭博及び富くじに関する罪」というモノがあり、条文として
(富くじ発売等) 第187条 富くじを発売した者は、2年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する。 富くじ発売の取次ぎをした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。 前2項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、20万円以下の罰金又は科料に処する。

という法律もあります。
コレが適用されるのは、殆どの場合「海外の宝くじを斡旋・仲介・購入」した者に対してですね。
普通に売られている宝くじは「当せん金付証票法」という法律により、売上金を地方財政に使用するというコトで認められているワケです。
つまり、公営ギャンブルの一つです。
上記にあるように、全ての運営者は霞ヶ関の省庁に紐付けされています。
つまり、各省庁の天下り先なワケです。
特にパチンコ・パチスロは国家公安委員会・警察庁の数少ない大切な天下り先なので、三店方式という「グレーな仕組み」を認めているワケです。
ですから、過去のCR導入や連チャン規制や出玉規制などを警察がゴリ押しできたワケです。
「金銭の流れを透明化する」や「射幸心を煽るモノを規制する」という名目で。
コレを全ては否定しませんが、個人的には「少しやりすぎ」だと思っています。
射幸心を煽るのが賭博であり、ソレを否定しては賭博「らしきもの」にしかなりませんから。
様々な規制がある中で、なぜ宝くじだけが「優遇」されているのかも不明です。
博打であるハズの宝くじだけが、昼間からコマーシャルを打っているのを見るたびに、この「不可解な不均衡」を感じます。

非合法賭博

博徒などの任侠団体がシノギとしているのが非合法賭博です。
主なモノをあげると…

  • 手本引き
  • 賽本引き
  • バッタ撒き
  • チンコロ
  • 丁半
  • チョボ
  • カブ
  • 賭け麻雀
  • 地下カジノ
  • 地下パチンコ・スロット
  • ノミ
  • 各種スポーツ賭博

盆で必ず儲かるのは、盆を立てている代貸し。
テラが入りますから当然です。
では、手本引きで一番有利なのは?というと、コレは胴ですね。
札を繰るという動作の中で、クセを読んだりしてくるのを利用して神経戦に持ち込むワケですから、余程胴の所作を読める「玄人」でないと、なかなか当てられませんね。
胴師が洗って交代する際に浮き分からテラを引きますが、ソレでも儲かるワケですからね。

まだまだありますが、コレくらいで。
盆などで開帳してテラをとるモノ、卓代をとるモノ、ハンデをつけて当たりを遠ざけるモノなど、色々あります。
また、胴が決まっている(専門の胴師がいる)ものと、盆中で胴が回るモノもあったり、賭けの清算を胴が行なうモノや合力が行なうモノもあったりと、コレも様々です。
このうち本引き(手本・賽本)は、若い人には敷居が高く、また、カジノなどに客を取られて、なかなか盆が立たなくなってきているようです。
コレは、賭けがズク(盆での賭けはズク(10万円の束)が基本で、カジノのようなチップを使うコトはありません)であるため、軍資金が相当額必要で、素人が入りづらいからと言われています。
コレは、特に本引きでのシステムが関係していて、スイチ・ケッタツ・九一・箱張りという張り方の中で、同じアタリでも5割プラスがあったり2割マイナスがあったりなどという、複雑な配当があるからです。
関西では手本、関東では賽本が主流のようですが、必ずしもそうであるとは限りません。
関東でも手本の盆は立ちますし、関西で賽本の盆も立ちます。
ちなみに、ボンクラという言葉の語源は、この盆になります。
盆に暗い、転じて周りが見えていないという意味です。
賭け麻雀も卓代を取ってテラとしています。
また、賭けが偏って博打が成立しないときに、盆側が入って成立させる時もあり、盆に入ったらまず「ルールの確認」を必要とします。
ガサ入れ(デコスケのスパイによる内偵)を避けるため、一見では入れず、紹介にて初めて入れるというのが基本です。
ノミとスポーツ賭博も同じで、一見では相手にしてもらえません。

コレはカジノでも同じで、ハウスエッジをとりますので、コレはカジノにおけるテラという意味になります。
胴の有利さではバカラが一番判りやすく、確率論的にバンカーが数%有利ですので、バンカーに賭けて勝った場合はコミッションとして勝ち金から5%徴収されます。
ちなみにコミッションはテラと関係なく、バンカーの方が有利なので配当を5%差し引くというだけの意味になります。
コミッションを一般的な5%に設定した場合、ハウスエッジは約1%となります。
なぜか?
例えば、プレイヤーに同額ベットし続けても、仮に50%の確率論からすれば浮き沈みはあるモノの手持ちは増えません。
しかし、実際は50%にはなりません。
確率からいうと、
プレイヤー : 44.61%
バンカー : 45.84%
タイ : 9.55%

となりますので、約1割の確率でタイが入り、バンカーに対して1分の確率で負けますので、必ず負けます。
バンカーに賭け続けても負けます。
タイに賭け続けても負けます。
よく「負けるとプレイヤー倍賭けをし続ける」という戦法を使う人がいますが、確率から言えば5分引けになりますので、この分で負けが込みます。
バンカーに倍賭けをし続けると、確率的には1分の有利でも5%のコミッションがありますので、コレも負けになります。
コミッションを5%で取って上記確率で考えると、ほぼ毎回負け5分の確率が確定(タイを逃す方が圧倒的に多い)しるコトを考えると、必ず勝つというコトはありません。
必ず胴が勝つようにできているんです。
この胴の勝ち分がハウスエッジとなり、プレイヤー・バンカー・タイのそれぞれのハウスエッジは1%チョイになります。
1%というと小さいと感じるかもしれませんが、1日に何千回というゲームで考えると、ものスゴい額になります。
トータルの賭け金もデカいですからね。

というコトで、バカラを例にしましたが、代貸し・胴が有利なのは判っていただけたと思います。
つまり、客が勝ち続けるというのは「理論上殆どない」と考えてイイと思います。
ごく稀に勝ち続ける人もいますが、余程の強運の持ち主でしょう。

博打の魅力

博打というのは魅力があるからこそ成り立つんですね。
例えば、手本引きにてスイチで引ききったとき。
例えば、バカラで全額タイに賭けて当てたとき。
例えば、パチンコにて一発目で確変を引いたとき。
勝った瞬間というのは、脳内でエンドルフィンなどが分泌されるので、射幸心を得ます。
この射幸心こそが博打の魅力なんですね。
コレを忘れられなくなるほどハマると、ギャンブル依存症となります。
…と言ってしまっては、元も子もありません。

私の中では「いつ刃傷沙汰になるか判らないほどアツい鉄火場(=賭場・盆)こそ本来」と思っています。
ですから、甘デジ・1円パチンコなどというヌルいモノは博打とは言いません。
私は博打を打ちませんがw
「飲む・打つ・買うの全部やるのは馬鹿だ、全部やらないのは甲斐性無しだ」という先人の言葉がありますが、私はまさにそのとおりだと思いますね。
私は「飲む」が好きなんで、ソレ以外の金は釣りとバイクに使います。
この釣りというのがまた厄介で、実際にやってみると見事に博打なんです。
また、ウチは浜師の家系で、今は浜師をやっていませんが、この浜師というのは先物と一緒で身上を賭けた博打なんです。
獲れた貝(アワビ・サザエ)やエビ(伊勢エビ)などを買い付け、市場価格が高価くなるまで生け簀に生かしておき、高価くなったら売るというのがメインで、市場価格があがらなかったり、生け簀の貝・エビなどが病気や天災で全滅すれば家ごと全てがパー。
そういう世界なんですね。
祖母も海女で、その兄弟も漁師という一族です。
両親は海と関係ない世界にありますが、血は争えないモンで、母親は潜りがウマいです。
私は3ヒロチョイしか潜れませんw
潜れるというのは、到達できるという意味ではなく、その深さまで潜って貝を探せるという意味です。
この潜りも、去年の禁漁区解禁の日は、1日で隣の地区にて高校生が40万近くあげたという、ソレくらいの一攫千金の可能性があります。
去年は水温が異常に低くて、潜り主体の漁師はピーピーでした。
自然を相手にすると、厭でも博打になってしまう世界がココにあります。

こういう浜師も含め、勝負事が大好きな人間は沢山います。
私が思うに、勝負事というのは「凹んでいるとき」こそ真価があろうと、そう捉えています。
また、機械相手は「正統な」博打とは思えません。
私は以前パチ屋に勤めていました。
その頃に何度か同僚に付き合わされて別の店に打ちにいったんですが、必ず一発台を打っていました。
初めて打ったときは、打ち方が判らなんだので同僚の隣に座りました…が、偶然にも見るからに釘がよかったので最初の500円で大当たりを引いて、1万に若干満たない程度に儲けたら冷めてしまい、見にまわっていました。
すると、見知らぬオッチャンが「打たないなら変わってや?」というので快く交代したら、その台はまた出るんです。
釘がイイので当然ですが、とにかくクルーンに届くんです。
あとの何度かも同じパターンで、最高でも3,000円突っ込んで大当たり10,000円弱を引く程度の、ソレで考えれば、トータルで勝ちなんです。
まぁ、少しやって出ないと、某魔法で釘の絡みを良くしていたのもあるんですがw
ゴトじゃない…です…が?
ただ、やっぱりカンタンに勝ちでは退屈ですね。
あの頃で一番燃えたのは、とある台を入れて試し打ちのとき、全員で500円づつを出して、最初に大当たりを出したら総取りという握りでした。
普段は試し打ちが嫌いで、台を見んとソッポを向いて女性社員と喋ってたんですが、握りがある時は別。
たかだか数千円ですが、こういうのは好きなんです。
モチロン、私が勝ちましたw
ナンでパチンコ・パチスロが嫌いで試し打ちの握りが好きなのか…?
コレは先般言ったように、機械相手は「正統な」博打とは思えないから、人間とやるからこそオモシロいんです。
ですから、カジノではバカラ専門です。
ポーカーは敷居が高すぎて無理でしたw
ココ10年は博打を打っていませんが、やはりたま~に打ちたくなります。
が、私の地元ではヌルいパチ屋くらいしか無いので、そんなモンに行くくらいなら打たないです。
まして、今の「去勢」された機械で打ってもヌルくてやってられません。
凹みが込んでも、超低確率ででも大当たり一発で取り返せて浮くくらい、そういう機械なら判るんですが、ヌルい台では退屈なコト此の上ないです。

凹んでいる時にイッパツ逆転、コレこそ博打の醍醐味だと、私はそう思っています。
あるいは、手本引きやポーカーのような「心理戦」も博打の醍醐味かと。
今のヌルいパチンコ・パチスロというのは、寿司屋で例えれば「大将が握って小僧が出す」というモノ、つまり、職人(胴)と客の直接のやり取りがないモノだと感じています。
いつガサが入るか判らない、そういう中で心理戦を行ない、ズクが紙切れに見える博打こそ正統かと。

ちなみに、点数計算ができないので身内打ちしかできないんですが、麻雀も好きだったりします。
普段はiPhoneとPC・Mac全てに麻雀ソフトを入れているんでソレをやって、時々オンライン麻雀をやる程度です。
赤4枚入りの東風ばかりですがw
基本的に鳴きで役はアト付け、安目でも早アガリというスタイルなんですが、機械相手での通算成績は1位31%・2位33.5%・3位19.9%・4位15.5%で、平均得点28300点。
イチバン多いのが三元牌 or 風牌+混一にご祝儀でドラ(赤もアリ)という読まれやすい役ですが、東風の赤入りだと「大差を取り戻す時間があまりない」ので、まず先にあがっておいて貯金を作り、危なくなったらわざとラス目を飛ばして0でも2着確定という、とにかく「大負けしない・小勝ちでも勝ち」を目標に打ちます。
ヌルい打ち方ですが、時々勝負を掛けて高目狙いもしますので、上記通算成績のように1・2着率が高いんですね。
麻雀のオモシロさというのは、とにもかくにも「神経戦」に尽きると思います。
運の要素が大きいゲームですが、運以外のトコロでの神経戦でも勝負が決まったりしますので、とにかく強気に攻めてゆく。
特に私のような鳴きで役はアト付け・三元牌 or 風牌+混一狙いが多い人間が時々強気で打っても相手にされませんので、ソレを利用してノーマーク( or 思い込ませ )にさせ、デカい手でアガりきるというという打ち方、しかも地獄単騎でリーチを掛けたり、槓子が出たら温存して、テンパってからリンシャン狙いのカンなどしますが、案外と「引き」が強いんで、ソレであがれるコトが多いんですね。
オカルト麻雀でいう「運(ツキ)をためる」というヤツです。
引きが強い・運をためるというのはオカルティックな用語で、確率論からいえば、分散と偏差がありますから、確率論的な「波」はあっても、ソレを操るのは「仕事」を掛けない限り不可能です。

さて、ココまできて結局「博打の魅力」とは何ぞや?と聞かれれば、努力無しの「運」だけでも大金を手に入れられる可能性がある。
そういう結論になると思います。
リーマンで月30万貰って平穏に暮らすのが健全な生き方なら、30万を使って300万や1000万、もしくはマイナス300万やマイナス1000万にできる「勝負」ができる「不健全な」生き方もあるワケです。
そういう「勝負」こそが博打の本質で、一晩で1億すり翌日に3億以上勝ったという、関西の某親分(もう亡くなられましたが、映画にもなっています)のような「勝負師」もいるワケです。
身近なトコロでは、真剣師という方々もいます。
連盟に属さず、独り身で賭け将棋・囲碁をして生計を立てる。
有名な真剣師で、アマ名人として大山康晴名人にも勝ち、連盟に入ろうとしたがハナシをに潰された方もいらっしゃいますね。
私が思うに、博打というのは「闇」にあって、博打打ちというのは「影」にいると、ソコで「世間一般的には通じない名誉」を勝ち取る、そういう「向こう側のヒロイズム」が博打打ちの魅力だと思います。
博打の運と、その運の世界で闇の名声をあげたいと、そう思うのが博打打ちの心理だと思いますね。

私は博打を打ちませんが、そういう「向こう側のヒロイズム」には憧れます。
でも根性無しなんで「向こう側」へは行けませんw
向こう側へ行くのはバイクに乗る時だけですww
ダラダラした長文になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。