フグに当たったら土に埋めろ?

 迷信が人を殺すこともあるんです

全国各地に、病気やケガを治す風習がある。
その中でも全国区なのは、やはり「フグに当たったら首から下を土に埋めろ」だろう。
なぜ土に埋めるだけで毒が抜けるかという疑問だが、どうも皮膚が土に接触して毒が土に移るという。
科学的に考えて、まず有り得ない。
但し、埋めておいて助かるコトもある。
…どういうコトか?

まず第一に、土に埋めて助かる者は埋めなくても助かる。
コレは重要。
コレさえ判れば、なぜ土に埋める云々という理由が判るだろう。

フグの毒はテトロドトキシンといい、種別としては神経毒になる。
コレを摂取すると、中枢神経をはじめとする、カラダ中の神経が麻痺する。
この毒は血液を通じて全身にまわり、最後に尿と一緒に体外へ排出される。

神経を麻痺させるというのが問題で、重篤な場合はコレにより筋肉の麻痺、特に呼吸で必要な横隔膜を動かす筋肉が麻痺して呼吸困難に陥り、そのまま窒息して死亡する。
この時に怖いのが、麻痺が進行していっても「意識はハッキリしている」というコト。
まさに「真綿で首を絞めるが如く」で、じょじょにカラダが麻痺して動けなくなり、だんだんと呼吸ができなくなる恐怖を感じながら死に至る。
麻痺が発生してすぐに人工呼吸器を使用すれば、あとは寝ているだけで回復できる。

摂取した毒が致死量以下で、自発呼吸ができている状態であれば、寝ているだけで回復できる。

埋めて助かっているのは、この状態までで済んでいる場合だと判るだろう。
つまり、埋めなくとも死なない。
埋めても助かるが、穴を掘るだけの体力が無駄になる。
ただし、穴に埋めた場合に怖いのが、土圧による胸部・腹部圧迫により、呼吸が苦しくなる場合があるという点。
寝ていればナンとかなるような場合でもギリギリの、若干でも呼吸に毒の影響がある場合、コレが原因で呼吸困難になる可能性もある。
人間というのは、ヒザ上まで埋めると脱出できない。
コレは、昔に実験して確かめてある。
脱出はできなかった。
土圧による胸部・腹部圧迫というのは、健康な状態でも無視できない。
つまり、

フグ毒に当たった人間を埋めると、最悪の場合は、その意志がなくとも殺してしまう

と、最悪なシナリオになりかねない。
他にも色々な風習があるが、私から言えば、殆どが科学的に有り得ないモノだ。
私は日本という国に生まれ、伊勢神宮の天照大神を頂点とする神々を崇拝し、祭祀王にして国家元首たる天皇に忠誠を誓い、日本において生きている。
古事記などを読めば、非科学的な「国産み」から始まるが、私は否定も肯定もしない。
ただ神話として信じるのみだ。
ただ、民間伝承の風習において、人命に関わるものについては、コレは慎重に扱うべきだと考える。
宗教は「奇跡」を期待するが、コレは奇跡的に起こるからこその奇跡であり、民間伝承の風習で助かったという場合は、殆どの場合が科学的に証明可能なモノだ。
証明不可能な場合は奇跡になるのであろうが、その奇跡は「現象としての奇跡」ではなく、

奇跡に至る過程が奇跡

だと言える。
つまり、結果に至る過程で不確定要素の道筋が、奇跡的に全てイイ方向に行ったからこその奇跡だ。
私は宗教的見地に於ける奇跡を否定しない。
だが、奇跡というものを軽々しく扱うべきではないと考える。
この点に於いて、カトリックに於ける奇跡の扱いが、私の考えに近いモノだ。
ヴァチカンによる奇跡の認定という制度こそ、奇跡の濫用を防ぎ、カルト・セクト化の防止になると考える。
現に、一大プロテスタント国であるアメリカには、極端な聖書の曲解釈をする教会が多い。
ブランチダビディアンのような、極めて危険な集団もあったし、今でもあると考える。
そういう団体は奇跡を乱発して、信者を放さないようにする。
あるいは、信者が離れようとすると、逆サイドの奇跡を以て脅しとする。

私が考える宗教と科学の接点は、倫理においてのみである。
例えば、私はクローン技術に対して、一定の否定を持っている。
ソレは、人間をクローニングする場合などであり、コレを神の冒涜とする。
民間伝承の風習を信じるのは勝手だが、盲目的に風習を信じ、科学的に考えて無謀なコトをした場合で、命を落としたり重篤な障害が残った場合、コレは法により厳格に罰するべきであろう。
無知は恥ずべきものであるが、無知による無謀は罪だ。
まして人命が掛かっている場合に於いては、まず科学的に証明された医学にまかせ、その結果に於いて奇跡を願うというのが通常であろう。
また、そうでなければならないと思う。
つまり、この風習と医学との分岐点が倫理として存在し、無知にして無謀な風習というチャレンジはすべきではないというコトだ。

結論を言えば、フグに当たったら、症状が軽いうちに救急車を呼べというコトだ。
土に埋めるのは、オロクになってから。