グレ釣りの外道…フグ考

 フグはオイシイですが…

釣り場で皆に嫌われる魚…そう、フグですね。
フグのノッコミのシーズンなど、フグの入れ食いになってしまい、釣りにならないコトがよくあります。
晩秋の時期などは、太かトラフグ・クサフグ・アカメフグなどが掛かりよります。
腹がパンパンで、あげるのもタモ無しでは無理で、しかもラインを咬むので最悪です。
ホームの釣り場で掛かった場合は、沖ではなく港内に投げてしまいます。
近所の別の漁港では、使っていない生け簀の中がフグだらけ…皆が投げるからですwww
毒が怖いので、私は絶対に食べようと思いません。
しかし、キタマクラを除いてですが、太かフグが上がった場合、釣り場近所のオヤジが欲しがります。
特にトラフグとアカメフグの人気は高いですね。
まぁ、私が忌み嫌うモノを欲しいというので差し上げますが、少し心配でもあります。
私の地元では、素人調理でフグに当たって死ぬと、3代に渡って笑い者にされます。
「あそこの父ちゃんはフグで死んだ」と。
何十年前のハナシでも、未だに言われている家が何件もあります。
確かにフグはオイシイです。
特に太かフグの白子は最高です。
でも、自分で調理して死の危険をおかしてまで食べる価値があるかと聞かれれば、価値は無いと思っています。
フグが食べたければ、フグ料理をやっている店に行くか、おろした(みがいた)フグを売っている店で買います。
高価ではありますが、ソレだけの価値があると思っています。

私が見ていて不快だったのが、だいぶ前ですが、アカメフグの大モノを釣った時、やはり近所のオヤジが欲しがったので呉れたんですね。
そうしたら、その場で捌いて毒のある部分を海に投げ込んだんです。
アレはイヤでしたね。
普通、フグの毒がある部位は、施錠したプラッチックか金属の「非浸透性」容器に保管し、専門の業者が「有料で」焼却処分し、尚かつ都道府県の担当部署に消却をした報告を入れないといかんのですが、ソレを無造作に海に捨てるとは…
フグ毒であるテトロドトキシンは、300度以上に加熱しても分解されません。
つまり、通常の調理では分解されないんですね。
毒性は最強レベル、しかも神経毒ですから、万が一を考えると無造作に海に捨てるなんてのは最悪です。
捌かずに持って帰る人もいますが、どうせ生ゴミに出すんでしょうね。
ですので其のコトがあって以来、太かフグをあげても、周りに気付かれる前にとっとと海に帰してしまいます。

フグ毒の主たる成分であるテトロドトキシンを致死量(経口摂取で2~3mg)摂取した場合、数十分でシビレなどの初期症状が出始め、だんだんと全身の麻痺が進行し、最終的には殆どの場合24時間以内に呼吸不全で死に至ります。
解毒剤はなく、呼吸系の麻痺が出るまでに人工呼吸器を付けて、代謝されるのを待つしかありません。
毒性の割には尿での代謝がされやすいため、呼吸機能さえ確保できれば、あとは利尿剤と水分を点滴等で補給して尿を出させ、必要であれば強心剤を投与し、寝ているだけ(というか動けないので寝ているコトしかできません)で回復できます。
呼吸系の麻痺までいってしまうと、脳への酸素供給が断たれ、徐々に脳組織が破壊されて活動できなくなり、一命を取り留めたとしても、重大な後遺症を残すコトがあります。
ですから、初期症状が出始めた時点で救急車を呼び、呼吸困難になる前に人工呼吸器挿管を行なうコトが必要です。
この時にモタモタしていると、どんどん「死が近づいて」きますので注意です。
どんなに症状が軽く感じられても、フグを食べた後にシビレなどを感じたときは、最悪の場合を想定して動きましょう。
この時怖いのは、フグ毒では意識障害を起こさないトコロです。
つまり、だんだん痺れが進行し、呼吸が出来なくなってゆくのを「明瞭な意識」で感じるコトです。
死のエスカレータを降りてゆくのを感じて、それでも麻痺によりナニもできず、その恐怖を感じつつ死に至るワケです。
だいたい死に至るのは24時間以内ですが、その間の恐怖というのは計り知れません。
どうですか?
素人仕事のフグの怖さが判りますか?

素人仕事でフグで当たって死ぬのは、残された家族も不幸です。
フグは専門の調理師がいる料理屋で食べましょう。
フグ調理師ですらミスをするくらいです。
絶対に素人が自分で捌こうなんて思わないで下さい。

 でもオイシイんですよ

北大路魯山人

食通として名高い芸術家、北大路 魯山人はフグについて幾つか文章を残しています。
青空文庫で読めるものとして
河豚食わぬ非常識
河豚は毒魚か
あたりが判りやすいですかね。

曰く、

 ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の 古諺 ( こげん )に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。その論拠の価値をきわめもせずに、うかうか古諺に釣り込まれ惜しくも無知的判断から、いやいや常識的判断から震え上がりその実、常識を失っている。

それもたいやはものうまさ、うなぎやてんぷらのうまさ、このわたやからすみのうまさ、あゆやあなごのうまさ、まつたけやしめじのうまさ、うどやぜんまいのうまさ、そばやそうめんのうまさ、すっぽんや山椒魚のうまさ、若狭の 一 ( ひ )と塩、石狩の新巻、あるいは 燕巣 ( えんそう )、あるいは銀耳、 鵞鳥 ( がちょう )の肝、キャビア、まあそんなもののうまさに似た程度のうまさであるならば、わたしはあえてがたがたするひとびとにわざわざ 笞 ( むち )打ってまでふぐの 提灯 ( ちょうちん )持ちなんかしやしない。ふぐのうまさというものは実際絶対的のものだ。ふぐの代用になる美食はわたしの知るかぎりこの世の中にはない。

などとベタ褒めです。
更には

 ふぐの美味さというものは、 明石 ( あかし )だいが美味いの、ビフテキが美味いのという問題とは、てんで問題がちがう。調子の高いなまこやこのわたをもってきても 駄目 ( だめ )だ。すっぽんはどうだといってみても問題がちがう。フランスの 鵞鳥 ( がちょう )の 肝 ( きも )だろうが、 蝸牛 ( かたつむり )だろうが、比較にならない。もとよりてんぷら、うなぎ、すしなど問題ではない。
 無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、 栖鳳 ( せいほう )や 大観 ( たいかん )の美味さではない。 靫彦 ( ゆきひこ )、 古径 ( こけい )でもない。 芳崖 ( ほうがい )、 雅邦 ( がほう )でもない。 崋山 ( かざん )、 竹田 ( ちくでん )、 木米 ( もくべい )でもない。 呉春 ( ごしゅん )あるいは 応挙 ( おうきょ )か。ノー。しからば 大雅 ( たいが )か 蕪村 ( ぶそん )か 玉堂 ( ぎょくどう )か。まだまだ。では 光琳 ( こうりん )か 宗達 ( そうたつ )か。なかなか。では 元信 ( もとのぶ )ではどうだ、 又兵衛 ( またべえ )ではどうだ。まだまだ。 光悦 ( こうえつ )か 三阿弥 ( さんあみ )か、それとも 雪舟 ( せっしゅう )か。もっともっと。 因陀羅 ( いんだら )か 梁楷 ( りょうかい )か。 大分 ( だいぶ )近づいたが、さらにさらに進むべきだ。 然 ( しか )らば 白鳳 ( はくほう )か 天平 ( てんぴょう )か 推古 ( すいこ )か。それそれ、すなわち推古だ。推古仏。法隆寺の壁画。それでよい。ふぐの味を絵画彫刻でいうならば、まさにその 辺 ( あたり )だ。

などと、呉春・応挙なども引っ張りだして褒めています。
しかしながら、やはり素人仕事には怖さがあるらしく、

 ふぐを料理する法といっても実はそうむずかしいものではない。生きたるふぐを条件としてただ肉中骨中の血液を点滴残さず去ることのみの仕事と解してよい。だが、なんだといって軽々に取り扱う気になる蛮勇は止めて 貰 ( もら )いたいが、それにはなにをおいてもまず下関、馬関、別府等、本場の専門的庖丁人によって作られたものを食うという常識を必要とする。
 死んだふぐを料理しては危険のある場合が多い。また素人料理にうかうか安心してはいけない。ふぐによって命を失ったという話の全部が全部、素人庖丁の無知が原因となっていることを銘記する必要がある。価の安い場合にも注意すべきだ。

などとも書いていたり。
やはりフグは、専門家に依って捌かれたモノを食すべきだ、と。

フグの旨味というのは、脂肪を殆ど含まない、純粋に蛋白質などの「旨味成分」と食感に依ります。
一夜干しなどもあるが、やはり身の薄造りや鍋、そして白子を生でポン酢にて食したり、身と同じく鍋にて食するのがイイですね。
旨いモノを釣ったのに食べられない不条理。
だからこそ、高価い金を払ってでも食べる価値があるんです。
少なくとも私は、腕のたつ料理人によるフグ料理でないと気に入らないし、なかなか素人料理ではフグの旨さを引き出せないと思っています。

さて、至高の旨味と強力な毒を併せ持つ魚であるフグ。
大変悩ましいモノですね。
やはり私はフグには金を払いますし、釣りモノでカワハギあたりをあげてガマンします…といっても、カワハギも相当にオイシイですがw

釣りとは関係ありませんが

フグのノッコミ期(春の産卵期)にワカメを穫る人がいますが、フグの卵が付いている場合があります。
フグの卵は粘着性の膜で覆われており、容易に海藻などへ付着します。
卵にも毒がありますので、ノッコミ期にはワカメなどの浅瀬につく海藻は、食用としての採取はしない方がイイでしょう。